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ようこそ! 《 名画壁紙 美術館 》 へ! 《 名画デスクトップ壁紙 美術館 》 には、 現在、印象派ではゴッホの名画壁紙、ルノワールの名画壁紙、モネの名画壁紙、マネの名画壁紙、 その他の印象派名画壁紙、そしてアールヌーボーでは、クリムトの名画壁紙、ミュシャの名画壁紙、 その他に、バロックのレンブラントの名画壁紙、および、時代や画風を限定しない特別展・名画壁紙がそろっています。 最も新しい名画壁紙は 今週の 《 名画デスクトップ壁紙 》 をご覧ください。 名画 デスクトップ 壁紙は、印象派の画家たちの絵を中心に、世界の名画を壁紙に仕上げています。 絵を大切に考え、最低限必要なもの以外、できる限り無駄な装飾は加えていません。 世界の名画で、あなたのデスクトップを飾ってください。 |
| 壁紙をお持ち帰りの際は GuestBook に、感想などを頂ければ幸いです。 |
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今週の壁紙はこちら・・・ |
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「 フィラデルフィア美術館展 - 印象派と20世紀の美術 - 」 特集の第五弾は、 印象派の長老 カミーユ・ピサロの 《 夏景色、エラニー 》 です (=^-^=)ノ 今回の展覧会には、ピサロの作品は3点、来ていました。 この 《 夏景色、エラニー 》、それに 《 ラクロワ島、ルーアン ( 霧の印象 )》 《 午後の陽光、ポン・ヌフ 》 もっともピサロらしい作品。 しかも場所が有名なシャンソンにも歌われている、あのポン・ヌフ橋ですから、 これもいの一番に壁紙にすべき作品かと思いましたし、 《 ラクロワ島、ルーアン ( 霧の印象 )》 ということで、これも是非壁紙にしたかったのですが、今回壁紙にさせていただいた 《 夏景色、エラニー 》 には、 観た瞬間、本当にやられました (^_^;) 広々と広がる牧草地・・・ そこにさわやかな風が吹き抜けているんですよね。 クリーク沿いにゆったりと歩く牛たちとひとりの牧童・・・ ポプラ並木と栗とおぼしき樹が、燦々と降り注ぐ夏の、朝なのか夕方なのか・・・ その陽光に長い影を引いています。 朝だとしたら、牧童は牛を放牧地に連れて行き、一日の仕事が始まるのでしょう。 夕方だとしたら、暑い昼間が終わり、ゆったりと夏の一日が終わろうとしている・・・ 牧童は牛たちを厩舎に連れて帰るところなんでしょうか。 仕事が終われば、並木の向こうに見える村に帰って、 家族とともに寛ぐのでしょう・・・ いずれにしても、闘わねばならぬ夏の昼間の照りつける太陽ではなく、 ちょっと時間がずれているだけで、人にも牛にも草にも樹にも、やさしい太陽の光なんですよね。 日頃、建て込んだ街に住んで煩雑な日常を過ごしていると、こういう風景が、とても恋しく思えてくるものですね。 つい、この絵を壁紙にして、PCデスクトップに載せてしまいました (^_^;) でも・・・ 展覧会でこの絵を、ほぉ〜っと声を出しながら眺めて、さて・・ と展示プレートに目を移して解説を読んでみると・・・ う〜む・・・ この絵はそんな絵だったのかぁ・・・ と感慨を深くしたのです。 この絵の、精神的にも広々と開放してくれるような伸びやかさとは裏腹に・・ ちょっとオーバーかも知れないけれど・・ ピサロの焦り、いらだち、そして立ち返りへと・・・ そんな彼の画家人生の象徴的な絵だったのだということを教えられたのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ モネをはじめ、印象派の絵画の特徴のひとつには、「 色彩分割 」 とか 「 筆触分割 」 とか言われる技法があります。 光の三原色は、青・赤・緑の三色。 それに比して色 ( 絵の具 ) の三原色は、青・赤・黄となります。 カクテル光線と言われるように、光は三原色が混ざれば白く輝きますが、 絵の具は三原色が混ざればグレーに濁って、暗い色になってしまいます。 光は混ぜれば混ぜるほど明るく輝きますが、絵の具は暗く沈んでしまうのです。 聖や美や情を表現するために、3次元の光と影と空間が実在する自然界の状景を切り取って、 2次元のキャンバスや板や紙など、平面上に表現するために、人は古代から挑戦してきたわけですが、 西洋では特にルネサンス以来、空間表現のために遠近法を駆使したり、さまざまな絵の具を考案したりと、 技術的な追求には余念がなかったわけです。 空間を平面に描くことにも元々無理があるわけですが、 この光と絵の具の三原色の特質に違いは如何ともしがたく、現在に至るも未解決のままなのです。 色彩分割とは、絵の具を混ぜて中間色を作ろうとするとどうしても濁ってしまうので、 絵の具を混ぜずに澄んだ色のままキャンバスに乗せ、隣接する部分に本来混ぜようとする色を乗せ・・・ とすることで、あくまでも塗る色自体は澄んだ色・・・ 一筆ごとに澄んだ色を乗せることで、 画布全体としては明るく澄んだ色の集合体とするのです。 そうしてそこから発せられる光を観者の目が捉えるときに、観者の目の中で混ぜて、 本来画家が表現したいと考えた色に合成して観てもらおうというものです。 ( だから印象派の絵は、数メートル、時には10メートル以上離れて観ると、実に深い味わいになりますね ) その原理そのものは印象派を待たずともすでに確立されていたのですが、しかしながらそうした描法は、 光から影への、色から色への、滑らかな移行という課題には適せず、 絵がはっきりした一筆々々の集合体であることが強調されてしまう・・・ そうした欠点を嫌われて、一般的には採用されなかったものだったのです。 しかし印象派は、それを大胆に取り入れました。 モネが 《 印象・日の出 》 で、「 描きかけの壁紙の方がマシだ 」 とこき下ろされようと、 ルノワールの 《 陽光のなかの裸婦 》 彼らはそれを推し進めたのです。 ピサロはモネやルノワールよりも、10歳ほど年長です。 しかし彼は進取の気風に富み、常に新しい絵画を目指していて、しかも温厚で率直な人物でした。 印象派グループの最年長者としてグループを取りまとめ、印象派展を継続させる人望も備えていました。 ( この辺りの事情は、《 雪に映える朝日、エラニー=シュル=エプト 》 の稿でも少し触れていますのでご参照ください ) そんな彼が、8回、12年にも及ぶ運動の最後の印象派展で見たものは、さらに衝撃的な絵画だったのです。 モネら印象主義者が追い求めた色彩分割は、突き詰めれば、現代のカラーテレビの原理に到達します。 カラーテレビでは、赤・青・緑の光の三原色の、それぞれの発光体を順番に並べ、 それに適量の電子ビームを当てることによって、それぞれの発光体が適度の強さで光ります。 赤・青・緑の発光体がそれぞれ適度の強さで発光することによって、人間の目で見たときにはそれらが混ざってしまって、 どんな色でも作り出せるのです。 PCの世界では、液晶のモニターも家庭用によく使われているインクジェットプリンタも、同じ原理ですね モネらは経験と勘によって、適度の面積の筆触で一筆ごとに色彩を分割していたのですが、 印象派の登場以来、より新しい絵を・・・ より鮮やかな絵を・・・ 他と違った画法を・・・ と、 「 革新 」 がトレンドとなっていた当時の若い画家たちにとっては、より科学的な理論に基づいて色を分解し、 「 一筆 」 の面積も小さくして、筆の先の 「 点 」 程度の大きさにして・・・ と発展するのは、当然の帰結だったでしょう。 そうして一連の 「 印象派展 」 の最後の、1886年に開かれた 「 第8回展 」 に、 ジョルジュ・スーラという若者が出展した 《 グランド・ジャット島の日曜日の午後 》 多方面に衝撃を与えることになるのです。 批評家たちは、印象派をさらに新しくした絵だとのことで、「 新印象派 」 との名前を付けましたし、 若いゴッホやシニャックも、この描法に取り組み始めます。 ピサロは、印象派の長老としての知名度もありましたし、自身の画風もほぼ確立の域に達していましたが、 なにぶん自身の進取の気風は拒み難く、彼よりも30歳も若いスーラが考案し、試している画法に彼も早速取り組み始めるのです。 こう言うところがピサロの素晴らしいところですね。 モネが 《 積みわら 》 や 《 ポプラ並木 》 ピサロは当初、売れるからと言って同じ絵を 「 量産 」 するのは如何なものか・・・ と批判的でした。 しかしある展覧会でそれらの絵が一堂に会したのを実際に目撃した後は、その 「 連作 」 が単なる量産ではなく、 特別な効果を生み出すのだと確認し、何の躊躇もなく自身もそれを取り入れる・・・ というエピソードがあります。 僕はそんな彼に、まったくの率直人であり、そこに偏狭なプライドなど歯牙にもかけないという大きさを観ます。 この点描を試み始めたときもそうなんですね。 スーラはピサロよりも30歳も若いのです。 初めて 「 印象派展 」 に出展した若い画家の手法を、その長老であるピサロは、何の躊躇もなく試みはじめるのです。 良いと思ったものには、拘りなく挑戦する。 そんなピサロの大きさが、ここにも見えます。 しかし皆さん、ちょっと考えてみてください。 スーラの 《 グランド・ジャット島の日曜日の午後 》 最近、大きな点描ということでは去年、オルセー美術館展に来ていたカルル・マチェックの 《 預言者リブザ 》 という作品を観ましたが、その作品を目の当たりにしたとき、同行していた娘の感想は・・・ 「 こんな絵を描いて、ノイローゼにならないかしら・・・ 」 というものでした。 そうなんですよねぇ・・・ ホント、点描で大きな作品を描こうとすれば・・・ 直径2mm程度の点を、色彩の合成ということを解析しながら一点々々打って行くんですよね。 その点のひとつひとつには何の味もない、ただの絵の具の点。 そんな点を、絵画全体の色彩バランスや強弱を考えながら、一点々々打つという途方もない作業を繰り返すのです。 そしてピサロも懸命に、神経をすり減らす、そんな作業に没頭したのです。 彼は、以前彼が制作した作品を元に、アトリエで、新たに点描で描くという方法を採ります。 今回の展覧会に来ていた 《 ラクロワ島、ルーアン ( 霧の印象 )》 複数の作品とエッチングを手本にして制作されたそうです。 しかし点描は、当時の収集家には受け入れられず、画商も、彼に何度も点描を止めるよう助言していました。 しかも、彼が点描に懸命に取り組んだのは、スーラが 《 グランド・ジャット島の日曜日の午後 》 第8回印象派展に発表した1886年から、1889年の四年間。 この間に、印象派の仲間であったルノワールは、肖像画の大家となりつつあり、 モネも1883年にジヴェルニーに移り住んでからは、良い仕事をいくつもこなし、名を上げつつある・・・ 印象主義そのものが、世間から認知されはじめていたのです。 一方のピサロは、印象派の長老として著名にはなっていましたが、画風をガラッと変え、 点描に走ってしまったとして、世間は彼を見放しつつある・・・ 新印象派とは言うものの、色彩分割を徹底して色彩と輝度を際立たせる絵を描くのは良いが、 それは、その時見た光を 「 その時に描く 」 という彼らが拘った手法を捨てていて、 それまでの印象派とは似て非なるものではないか・・・ 常に新しい試みに挑戦し続けていたピサロでしたが、これは誤算だったのではないでしょうか。 点描技法そのものが、ストレスの溜まる画法。 その上に、認められ始めた印象主義は、ルノワールやモネを大家に押し上げようとしていて、 自分も当初からリーダーの一人として印象主義を推し進めていたのに、知らぬ間にそれを捨てていた・・・ そうして今、収集家にも好まれぬ点描を、普通の絵を描く数十倍の時間と神経をすり潰しながら描いている・・・ 収入は減り、6人の子供たちを育てねばならないのに、賄うことも不自由になってきた・・・ 自分は・・・ 何をやっているのだ!!!! さて、今週の壁紙に使わせていただいた 《 夏景色、エラニー 》 に話を戻しましょう。 この絵は最初、点描技法で描かれました。 1887年のことです。 絵の右下に、サインとともに年記があります。 それが左端に沿って損傷し、大きく深い亀裂が入ったので、1902年に通常の技法で、ピサロ自身によって修復されたと言うのです。 87という年記の右側に、1902という年記が加えられているのは、そのためなんですね。 そういえば、この絵の前景の牧草と牛たちの辺りには、点描のなごりが残っていますね。 その損傷の原因について・・・ 図録の解説は、 「 なぜカンヴァスが引き裂かれたかはわかっていない。アトリエ内で不慮の事故があったとも考えられるが、 面倒な新印象主義の画法にストレスを貯めたピサロ自身が故意に引き裂いたのかもしれない 」 と語ります。 僕は、おそらく後者なのだろうと思います。 技法によるストレスもさることながら、印象主義とは似て非なるものを描いている自分へのストレスも・・・ 他の印象派画家たちが、長い苦労の末にやっと認められ始めているのに、彼らと同じ苦労をしてきた自分は その恩恵に浴することが出来ず、またもや収入は減り始め、生活に困窮し始めているということも、 彼のストレスになっていたのかも知れません。 そうした幾つものストレスの複合と相乗が、このキャンヴァスと引き裂かせたのかと・・・ 1889年、彼は点描を捨て、本来の印象主義に立ち返ります。 ところが1893年、画家として致命的なことですが、眼病を患い、 埃や風、それに明るすぎる日差しを避けるようにと、医師に診断されてしまいます。 医師は、それらを避けるため、屋内での制作を勧めるのです。 印象派の特徴は、その時の光を、その時に感じたままに描く・・・ 点描からやっと本来の印象主義に立ち返ったピサロは、再び眼病のために、それを封じられようとしたのです。 しかし彼は、それをアパートの室内から窓越しに、屋外の風景を描くという方法で切り抜けます。 今、彼の名作として名高い作品は、ほとんどがこうしてアパートやホテルの窓から描かれた風景画なんです。 今回の展覧会に来ていた 《 午後の陽光、ポン・ヌフ 》 以前、この壁紙コーナーで初めてピサロをご紹介した、《 雪に映える朝日、エラニー=シュル=エプト 》 も、 そうした作品のひとつなんですね。 1902年、点描を捨ててから12年が経過した頃、 彼はかつてストレスのあまり傷つけてしまった絵を再生させます。 30年以上も研鑽を尽くした、印象主義の技法に従って・・・ |
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| 2007 フィラデルフィア美術館展 - 印象派と20世紀の美術 - 特集壁紙 | |
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ホアキン・ソローリャ 《 幼い両生類たち 》 アンリ・ルソー 《 陽気な道化たち 》 ピエール=オーギュスト・ルノワール 《 アリーヌ・シャリゴの肖像 ( ルノワール夫人 ) 》 クロード・モネ 《 アンティーブの朝 》 エドガー・ドガ 《 室 内 》 カミーユ・ピサロ 《 夏景色、エラニー 》 |
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| フィラデルフィア美術館展に出展されていて、壁紙として、過去に既出だったもの | |
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ピエール=オーギュスト・ルノワール 《 ルグラン嬢の肖像 》 |
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