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ようこそ! 《 名画壁紙 美術館 》 へ! 《 名画デスクトップ壁紙 美術館 》 には、 現在、印象派ではゴッホの名画壁紙、ルノワールの名画壁紙、モネの名画壁紙、マネの名画壁紙、 その他の印象派名画壁紙、そしてアールヌーボーでは、クリムトの名画壁紙、ミュシャの名画壁紙、 その他に、バロックのレンブラントの名画壁紙、および、時代や画風を限定しない特別展・名画壁紙がそろっています。 最も新しい名画壁紙は 今週の 《 名画デスクトップ壁紙 》 をご覧ください。 名画 デスクトップ 壁紙は、印象派の画家たちの絵を中心に、世界の名画を壁紙に仕上げています。 絵を大切に考え、最低限必要なもの以外、できる限り無駄な装飾は加えていません。 世界の名画で、あなたのデスクトップを飾ってください。 |
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今週も先週に引き続き、オフィーリア特集ということで・・・ (^_^;) いや、実は今週の 《 若き殉教の娘 》 は、2005/4/9から2005/10/16まで、横浜と京都で開かれた、 『 ルーヴル美術館展 19世紀フランス絵画 - 新古典主義からロマン主義へ 』 という展覧会に来ていた作品で、 その展覧会図録のこの作品の解説に 「 イギリスのラファエル前派のジョン・エヴァレット・ミレイが、1852年にロンドンのロイヤル・アカデミーと、 1855年のパリ万国博覧会に出品して大成功を収めた 《 オフィーリア 》 に影響を受けたと思われる 」 との文言があったんですね。 この展覧会に出品された作品を壁紙にしたのは、アングルの 《 泉 》 だけだったのですが、その頃、 この素晴らしく印象的な作品にも、たくさんリクエストいただいていたのです。 それでまぁ、今年、ミレイの 《 オフィーリア 》 と思ったのですが、真っ先に思い浮かんだのが、先週にご紹介したステックの 《 オフィーリア 》 と、 このドラローシュの 《 若き殉教の娘 》 だったのです。 どちらを・・・ と迷ったのですが、どちらもリクエスト頂いていた作品ですし、 僕もいつかはぜひ壁紙にしてみたいと思っていたので、この機会に両方とも作ることにしました。 ミレイの 《 オフィーリア 》 が巡回するのは、北九州と東京だけで、他の地域の方は、 それだけを観に行くってのもなかなか難しいとは思いますが、ちょうどミレイの東京展の時期と、 東京でフェルメールが6点も一度に公開される時期とが重なっていますから、一度の上京で両方とも観れるというのは、 僕は大阪ですが、かなり誘惑的だな・・・ とも思ってるんですよね (^_^;) ( 「 ジョン・エヴァレット・ミレイ展 」 2008/6/7〜8/17 北九州市立美術館 8/30〜10/26 東京・Bunkamura ザ・ミュージアム ) ( 「 フェルメール 」 2008/8/2〜12/14 東京都美術館 ) さて、この絵を描いたポール・ドラローシュですが・・・ 彼は俗に言うところの 「 サロンの画家 」 で、やはりそれらしく、堅固な技術を持っていたようです。 歴史画が主な画題でしたが、画風は、技法的にはアングルに代表される新古典主義で、 表現方法はロマン主義的な、そのストーリーのクライマックスに達する瞬間を劇的に、 しかも仔細に描くことで人気があったようです。 オルレアン公などの寵愛を受け、35歳で美術学校の教授となり、後のバルビゾン派の巨匠・ジャン=フランソワ・ミレー 一時期、彼に師事したと伝えられています。 エリートコースまっしぐらだったんですね。 サロンの常連であったということは、古典的な絵を描く画家としてその技量も相当なものであったのは確かなのですが、 しかしこの時期、アカデミックな絵を描く、そして相当な技量を持った画家というのは、 パリにはそれこそ掃いて捨てる程にいたのですから、特に特徴的な絵を描くわけではなかった彼は、 死後、次第に忘れ去られた画家になってしまうのです・・・ この絵は、そんな彼の、人生で最後に描いた絵だと言われています。 有名な、誰でも知っているような歴史的事実を元に絵を描いていたドラローシュですが、 この絵はちょっと違うんですね。 彼は、夢を見たというのです。 ある日、病床にあったドラローシュは、うたた寝をしていて、夢にこのシーンをはっきりと見たのだと・・・ 「 ディオクレティアヌス帝時代の若き殉教の娘。 彼女は偽の神々に生贄を捧げることを拒絶したため、 死刑を宣告され、両手を縛られてテベレ川に投げ込まれる・・・ 黙々と歩む二人のキリスト教徒が、目の前の川に若き殉教の娘の遺骸が流れていくのにふと気付く・・・ 」 そこでドラローシュは、 「 いかなる作品にもまして哀切で神聖なる絵 」 を制作しようと思い立ったのだと・・・ ディオクレティアヌス帝とは、紀元300年前後のローマ帝国の皇帝ですが、 彼が即位した頃のローマ帝国は、東からの騎馬民族の跳梁に押される形でゲルマン民族の大移動が起こり、 帝国の防衛が非常に難しい状態に陥っていました。 そこで彼は、一人で広大な帝国全体を治めるのは不可能と見て、帝国を2分割してもう一人の皇帝と共同で全体を 治めようとしたり、またそれぞれに副皇帝を任命して実質的には4帝制で統治しようとしたりと、様々な手を打つのですが、 その統治方法のひとつとして、自らの皇帝権力を宗教によって神聖化しようと考えます。 そしてペルシャ風の拝跪礼の導入や、伝統宗教の再興を図ったりするのですが、これらは民衆に皇帝崇拝を強要するものであって、 当然キリスト教徒との対立は避けられず、彼らは大弾圧に見舞われることになります。 その弾圧は一般に 「 大迫害 」 と呼ばれ、キリスト教史上、最も多くの殉教者を出したとされています。 あのコンスタンティヌス帝が即位してキリスト教を公認、そして国教と定める直前の時代なんですね。 日本でも、キリスト教が認められるのは明治初期ですが、その直前に、 幕末から明治に入っても続いた、最大の殉教者を出す 「 浦上4番崩れ 」 などの大弾圧事件がありますよね。 で、話題を絵に戻しますが・・・ (^_^;) この絵が従来のドラローシュの絵と決定的に違うのは、この絵の主人公が、無名の若い娘だと言うことです。 彼は歴史画を描いていたわけですが、その主人公は、誰でも知っているような歴史的に著名な人物で、 その人物が登場する歴史物語のクライマックスを、繊細・精緻なタッチで描き込めることに彼の人気の拠り所があったのです。 ところがこの絵では、確かにディオクレティアヌス帝時代という歴史物ではありますが、 登場人物は、誰も知らない無名の娘・・・ しかも 「この娘以外は、何もかも不要」 とでも言いたげに、光は娘だけを強調し、他は暗く暗く抑えられている。 水に浸かった亡骸が美しく、透明な水と波紋と、水中に揺れる髪や衣装・・・ そして彼女の手首を縛る革ひもが、彼女の美しさとうらはらな残酷さを、観る者の目に焼き付ける・・・ 実にドラマチックな描き方は、ロマン派の画家らしく、この絵を見た者の印象に深く残りますよね。 『 ルーヴル美術館展 19世紀フランス絵画 - 新古典主義からロマン主義へ 』 の展覧会図録の解説に、 先述の 「 (・・ミレイの・・) 《 オフィーリア 》 1855年のパリ万博に出品された 《 オフィーリア 》 は、批評家たちにも強烈な印象を与えたらしく、 この絵は彼らに、「 キリスト教徒の 《 オフィーリア 》 」 と呼ばれたとの記述もあります。 でもちょっと待ってくださいよ。 確かにこの 《 若き殉教の娘 》( ルーヴル・バージョン ) は、1855年に描かれていて、 それはミレイの 《 オフィーリア 》 が、パリ万博で公開され、絶賛を受けた年です。 しかし図録の解説にはありませんでしたが、この 《 若き殉教の娘 》 は、もう一点、 1853年に描かれたヴァージョンがあって、それは現在、エルミタージュ美術館に所蔵されています。 ミレイの 《 オフィーリア 》 が描かれてロンドンのロイヤル・アカデミーで発表されたのが1852年ですから、 当時はすでに数々の美術雑誌が発刊されていましたし、絵画や彫刻も、エッチングなどの方法で雑誌に載っていた ことは考えられ、しかもパリとロンドンは、そんなに遠くないことを考えれば、確かにその情報は、 そうした雑誌や評論集などでドラローシュの目に留まっていたかも知れませんが、 たぶん、彼自身がロンドンに赴いて実物を見たということはないと思うのです。 しかも 《 オフィーリア 》 との共通項は、水中の美女の死・・・ というだけで、 一方は有名戯曲の有名な登場人物を描き、一方は無名の女性を描いている・・・ 先週のステックの 《 オフィーリア 》 で、僕は 「強い女、儚く弱い女」 というお話を書きましたが、 社会構造の激動の時代にあって、女性の社会進出が顕著になり、それにつれて芸術家は、 サロメ その反動として、儚く弱い女性像の欲求も生まれ、何人もの画家が何点もの 《 オフィーリア 》 を描いている。 というような趣旨だったのですが、 この 《 若き殉教の娘 》 は、強くもあり、儚く弱い存在でもある女性を描いているんですよね・・・ 強い信仰を持って、死をも恐れなかった敬虔な女性像と、 革ひもという、つまらぬ道具ひとつで殺されてしまった弱く儚い女性像・・・ ただそこに、ドラローシュが人生の最後に、「 無名 」 の若い女性の死を、 「 いかなる作品にもまして哀切で神聖なる絵 」 として描いたということに、 当時の変革し続ける社会の影響はあったのだと思います。 つまり、歴史の主人公 ( 社会を動かす者 ) は、王侯・貴族から、一般市民に移りつつあるということ。 ひとり一人は弱い存在ではあるが、そこには確固たる意思がある、そんな無名の庶民が、 社会の主人公になりつつあるのだということ。 そして、ドラローシュは、そこにこそ光を当てるべきだったのだと、人生の最後に思い至った・・・ 後に印象派の父と言われるエドゥワール・マネは、「 現代のパリ 」 を描くのだと言って、 何気ない街の様子や人々を描きはじめ、モネはじめ印象派の面々は、虚飾のないその時の光を捉えることを求めますが、 そこに至る思想の萌芽が、ここに見えるような気がするのです。 いつものように僕の勝手な想像にすぎないのですが、 《 オフィーリア 》 の影響を受けたのは、批評家たちであって、彼らは勝手にこの作品を 「 キリスト教徒のオフィーリア 」 などと呼びましたが、ドラローシュにはそんな意図は全くなかったと・・・ (^_^;) まぁ、それほどに 《 オフィーリア 》 も 《 若き殉教の娘 》 も、彼らに衝撃を与えたのではないかと・・・ |
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| オフィーリア・シリーズ壁紙 | |
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ジョン・エヴァレット・ミレイ 《 オフィーリア 》 ポール・ドラローシュ 《 若き殉教の娘 》 ポール・アルベール・ステック 《 オフィーリア 》 | |
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| 参考壁紙 | |
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アングルの 《 泉 》 ドラクロワの 《 民衆を導く自由の女神 》 |
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