アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙
アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙
アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙
アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙 このサイトのトップへ・・・ 壁紙美術館メニューへ・・・ アルフォンス・ミュシャ壁紙 壁紙の設定方法 アルフォンス・ミュシャ壁紙
アルフォンス・ミュシャ壁紙 アルフォンス・ミュシャ壁紙
名画壁紙
ようこそ! 《 名画壁紙 美術館 》 へ!  《 名画デスクトップ壁紙 美術館 》 には、
現在、印象派ではゴッホの名画壁紙ルノワールの名画壁紙モネの名画壁紙マネの名画壁紙
その他の印象派名画壁紙、そしてアールヌーボーでは、クリムトの名画壁紙ミュシャの名画壁紙
その他に、バロックのレンブラントの名画壁紙、および、時代や画風を限定しない特別展・名画壁紙がそろっています。

最も新しい名画壁紙は 今週の 《 名画デスクトップ壁紙 》 をご覧ください。

名画 デスクトップ 壁紙は、印象派の画家たちの絵を中心に、世界の名画を壁紙に仕上げています。
絵を大切に考え、最低限必要なもの以外、できる限り無駄な装飾は加えていません。
世界の名画で、あなたのデスクトップを飾ってください。

壁紙をお持ち帰りの際は GuestBook に、感想などを頂ければ幸いです。
アルフォンス・ミュシャ 《クオ・ヴァディス》
《 クオ・ヴァディス 》  1906年 アルフォンス・ミュシャ
Quo Vadis. / 1904
Alphonse Mucha 1860-1939
これは・・・ ミュシャの迷い・・・ ?
アルフォンス・ミュシャ館 ( 土居・コレクション ), 大阪府堺市, 日本 蔵 229.0cm×210.0cm )

800×600ピクセル 名画壁紙 1024×768ピクセル 名画壁紙 ワイド 1280×800ピクセル 名画壁紙 1280×1024ピクセル 名画壁紙 1600×1200ピクセル 名画壁紙 アルフォンス・ミュシャのページへ・・・
アルフォンス・ミュシャ壁紙

今週の壁紙はこちら・・・
( 壁紙検索も出来ます )

時は西暦1世紀前葉、皇帝ネロが治めるローマ帝国が、全世界を支配していた時代。
ネロはローマに厭き々々し、新しくネロポリスを作ろうとしてローマに放火。
大火の責任追及と非難が自分に集まろうとしたところで奸計を案じ、
放火犯をキリスト教徒だったとして、キリスト教大弾圧に乗り出していた。

その頃、アッピア街道を、ローマから離れようとする老人が急ぎ足で歩いていた。
老人はネロに迫害を受けている初期キリスト教の指導者・ペテロだった。
ペテロは捕縛されそうになったところを命からがら逃れて、ローマを去るところだった。

と・・・ 前方に輝く光が現れ、こちらに近づいてくる。
恐れを抱きながら見つめていると、それはますます近づき、その光は懐かしい師・イエスであることに気づく。

ペテロは言う。
「 主よ、いずこに行き給うや・・・ 」
( Domine, quo vadis? )

イエスはペテロに答えて言う。
「 お前が私の羊たちを見捨てるなら、私はローマに行って、もう一度十字架につこう 」

ペテロはイエスが十字架に掛けられたとき、自分の身可愛さに、主と仰ぐイエスを3度まで拒んで裏切った。
懐かしいイエスの声に打たれて、その記憶が、いまの事態と重なり、
「 またしても・・・ 」 と激しく後悔する。

ペテロは、迫害を受けているキリスト者たちの力になるべきだったと思い直してローマに戻り、
活動するうちにやがて捕まってしまう。
いざ十字架につけられようとしたとき、主と同じように十字架に掛けられるのは勿体ないと言い、
頭を下に逆様になって十字架に掛けられ、殉教の死を遂げた・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

クオ・ヴァディスとは、その 「 いずこに行き給うや 」 のラテン語です。
聖書にはこの言葉は、ヨハネ伝福音書の3ヶ所に使われていますが、上記のシチュエーションとちょっと違います。
まぁ、聖書論議をしても始まりませんから、その部分は置いておくとして、
上記の物語は、1896年、ポーランドの作家・シェンキェビッチの小説 「 クオ・ヴァディス 」 に書かれた
エピソードで、小説の主題とも言える部分ですね。

「 主よ、いずこに行き給うや 」 とは、神の意図はどこにあるのかとの問いに通じ、
迷っているときのキリスト者の、最も探求すべき課題なのかも知れませんが、
僕もカトリックを勉強していた頃、図書館でこの本を借りて、読み耽ったのを覚えています。
まぁ、30年以上も前のことなので、小説のこまかい部分はほとんど忘却のかなたにあって、
いたって頼りないのですが・・・

この小説のヒロインは、リギアという、ローマに征服されてしまった、今のポーランド辺りにあった国の王女で、
彼女は国を滅ぼされたとき、ローマ軍の人質となってローマに連れてこられていて、そのリギアに、
もうひとりの主人公、英国遠征を終えて帰還したローマ軍の大隊長・マルクスがひと目惚れしてしまいます。

で、そのリギアが、実はキリスト教徒であったということから、皇帝・ネロの暴政に巻き込まれて行き、
それにマルクスの恋やローマ軍将校としての立場やらが絡んで物語りは進展してゆく・・・

そんな内容だったと記憶しています。

で、ミュシャとの関連性を考えると、
この物語の主人公・リギアは民族的にはミュシャと同じスラヴ系なんですね。

この絵が描かれた1904年、すでにパリで名声を博しその頂点に居たミュシャが、
突然アメリカからの招きに応じて訪問し、その翌年には活動の場をアメリカに移してしまいます。
それは、祖国チェコのために自分の才能を生かし、そのための制作に専念できるよう、
アメリカの上流社会の人たちに訴えて十分な資金を得るためだったとされています。

パリにいたなら、彼はすでにポスターの世界では超一流の作家として、成功を約束されていたにも拘らず、
それらをかなぐり捨てるように捨て去り、彼はそれまでの路線を完全に転換してしまうのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1903年の日記に前述のシェンキェビッチの名が記され、
『 クオ・ヴァディス 』 に取り組むとの記述があるそうですから、
この絵が、小説 『 クオ・ヴァディス 』 に題材をとって描かれたことは明らかです。

では、その小説 『 クオ・ヴァディス 』 の、どのシーンなのか・・・

男性が二人、女性がひとり描かれているシーン。
女性は身をよじり、手前の男を誘惑でもしているようなシーン・・・

このシーンから、この女性はどうもヒロイン・リギアのイメージとは違うような気がします。
物語では、リギアにひと目惚れしたマルクスは、ネロの許可を得てリギアに心を打ち明けますが、
突然リギアは、忠実で力持ちの護衛・ウルススと共に姿を消してしまうのです。
落胆し、どうしたら良いか判らなくなったマルクスは、星占いの力を借りて彼女を探そうとしますが、
その結果は、リギアは禁断のキリスト教徒であるという驚くべきものでした。
マルクスは、キリスト教徒の秘密の集会場所を突き止め、部下と共に急襲、リギアを捕えようとします。

しかしそこで怪力の護衛・ウルススが猛烈に抵抗し、マルクスは怪我を負ってしまいます。
そして、その時リギアはマルクスに初めて心を開き、彼を看護するうちに愛し合うようになって行くのです。

ところが、やはりそこで問題になるのは、リギアの信仰。
マルクスは結婚を申し込み、リギアもそれを承諾するのですが、やはり信仰は捨てられない・・・
禁断のキリスト教とローマ軍大隊長の恋が両立するはずもなく、
マルクスは心を引き裂かれるような気持ちで、リギアの元を去るのです。

荒れるマルクス・・・
そんな彼の心の隙に忍び込んできたのが、ネロの妻・ポッパエア。
彼女は、マルクスが皇帝の前で凱旋行進する勇姿に惹かれて邪恋を抱き、
それまでに何度もマルクスに言い寄っていましたが、リギアに心惹かれていたマルクスの眼中にはなく、
たびたび退けられていたのです。
しかしここで、リギアとの結婚に絶望していたマルクスは、その絶望に耐え切れず、
ついに誘惑に負け、ポッパエアに溺れることで虚ろな心をまぎらわそうとしてしまうのです・・・

そうこうしているうちに皇帝・ネロは、前述のようにネロポリス建設のために、ローマに火を放ちます。

マルクスはローマ中が燃えているのを知り、戦車を駆って火の中に飛び込み、
逃げ場を失った群集を安全な場所に誘導し、無事、リギアも見つけ出して避難します。

ネロの暴虐非道に群集は怒り、反逆の烽火を挙げようとしますが、
ネロはこの放火をキリスト教徒の仕業だとして、キリスト教徒に大弾圧を加え、
捕縛した彼らを大闘技場に引き出して、ライオンの餌食にしようとします。
このとき、群集と一緒に抵抗したマルクスも、ネロに捕えられます。

使徒ペテロはこの事態に、ナザルスという人物の助けを得て、ローマを脱出・・・
そして冒頭に記したシーンへと移るのです。

ローマに帰って捕えられたペテロは、獄中でマルクスとリギアの結婚式を執り行い、
そして逆さ十字架に掛けられて果てます。

いよいよリギアにも刑の執行が迫り、彼女が闘技場で猛牛の角に掛けられようとしたとき、
怪力・ウルススが踊りこんで猛牛の首をへし折り、彼女を助けます。
怒ったネロは、マルクスとリギア、それにウルススを殺せと命令しますが、
大隊長・マルクスの部下たちはそれに従わず、逆にネロこそが悪であるとして反逆するのです。
民衆もネロを非難し、恐怖にかられたネロは妻・ポッパエアを絞め殺し、逃げ去ろうとしますが、
キリスト教徒になろうとしてなり切れなかった、
解放奴隷でありネロの元愛人だったアクテの短剣にかかって、命を落とします。

そうして暴君ネロの時代は終わり、
自由の身となったマルクス、リギア、ウルススらはシシリーに旅立っていくのです・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということで、どうもこの絵のシーンは、マルクスをポッパエアが誘惑している・・・
そしてカーテンを開けてそれを目撃しているのが、ネロ?
ペトロニウスやティゲリヌスという、ネロにおもねて権力を手中にしようという側近たちも登場しますので、
ネロでなくても彼らのうちの一人かも知れない。
そんな気がするんですよね。

ではなぜ、ミュシャはこのシーンを選んで絵に描いたのでしょう・・・
クオ・ヴァディスを絵画に描こうとするとき、その主人公やヒロインを描くことが、
あるいは信仰に促されて描いたのなら、ペテロとイエスが出会うアッピア街道のシーンだとか、
他にあったと思うんですよね・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ミュシャが1904年に大きな路線転換をしたことは、すでに述べました。
その路線転換は、強運と努力の結果勝ち取ったパリでの名声をかなぐり捨てる、
まさに祖国と民族のために、ミュシャ自身の人生を賭けた路線転換でした。

その路線転換・・・ 自らの人生を変えてまで祖国に尽くそうと考えたのには、
後に彼の妻となる同郷のマルシュカ・ヒティロヴァ マルシュカの肖像 と知り合ったことが大きいと言われています。
確かに、マルシュカ ( 通称・マリ ) とミュシャが知り合ったのは、この絵の前年の1903年。
ミュシャがシェンキェビッチの 『 クオ・ヴァディス 』 を意識し始めた時期に一致します。

ミュシャは、マルシュカとの付き合いが深まるに従って、
それまで長く深く付き合っていたベルト・ド・ラランド ベルト・ド・ラランドの肖像 という女性との関係を清算したようで、
またベルトという女性と関係があったという事実そのものも、消し去ろうとしたふしがあります。

ベルトという女性は、それまでのミュシャ作品によく出てくる、洗練された都会的美人で、
彼の作品の多くは、彼女にインスピレーションを得ていたのではないかと推察されますが、
この路線転換以後の作品には、都会的センス、流麗な線という特質よりも、
スラヴの素朴さ、無骨な線の太さがより強く出てくるようになります。
それはまるで、都会的美女のベルトと素朴なマルシュカの違いが反映しているのだと考えても良さそうですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まさかミュシャは、このベルト・ド・ラランドを、『 クオ・ヴァディス 』 のポッパエアに見立てて、
この絵を描いたのでしょうか・・・?
あるいはパリでの華やかな生活を、ポッパエアに見立てたのでしょうか・・・?

小説・『 クオ・ヴァディス 』 のヒロイン・リギアは、ポーランド地方にあったスラヴの国の王女で、
長い間ローマの人質としてローマに暮らすうちに、故郷の人々から忘れ去られて久しい、
孤独な美しいキリスト教徒の娘として描かれています。
ミュシャも、この小説を読み進むうちに、故郷を遠くはなれ、長い年月を経ていることに思いを至したでしょう。
懐かしいスラヴの娘・マルシュカとの付き合いが深まるにつれ、マルシュカから漂う故郷の薫りに、
ますます故郷を思う気持ちを掻き立てられたのかも知れませんね。

そんなところから、苦境にある故郷に、
自分の名声、才能のすべてを賭けて尽くしたいとの気持ちが湧き上がって来たのかも知れません。

クオ・ヴァディス・・・ 主よ、いずこに行き給うや・・・

迷いに迷ったミュシャが、その迷いに信仰による救いを求めたのだとしたら、
その後の彼の、《 百合の聖母 》 や 《 真福八端 》 など、
キリスト教にちなんだ作品群が急増するのにも、うなずけますね。

クオ・ヴァディス・・・ 主よ、いずこに行き給うや・・・

結局ミュシャはこの問いに、祖国のために尽くすべき・・・ との回答を得たのでしょう。
ミュシャにとっては過酷な道を選んだことになるのですが・・・




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、ここからは僕のいつもの癖で、至って蛇足になりますが・・・・

1896年にシェンキェビッチが発表した 『 クオ・ヴァディス 』 から70年後の1966年、
遠藤周作は、ほぼ同じ主題で 《 沈黙 》 を書き下ろします。

『 クオ・ヴァディス 』 では、輝く光として現れ、
「 お前が私の羊たちを見捨てるなら、私はローマに行って、もう一度十字架につこう 」 と、
弟子に対して、厳しい言葉を浴びせるイエスですが、『 沈黙 』 では、栄光も奇跡も力強さもなく、
踏み絵を迫られた司祭に、
「 踏むがいい 」
と、全く逆のイエスを描き出したのです。

「 お前の足は今、痛いだろう。 今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛いだろう 」
「 だがその足の痛さだけで充分だ。 私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう 」
「 そのために私はいるのだから 」
「 弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか? 」
と・・・

「 主よ。 あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました 」
「 私は沈黙していたのではない。 一緒に苦しんでいたのだ 」

信徒たちも自分も、筆舌に尽くしがたい苦難を味わい、魂を篭めた祈りを捧げ続けたのに、
イエスは常に沈黙し、栄光を表すことをなさらなかった・・・
しかし 「 踏むがいい 」 との声を聞いて、司祭は気づくのです。
「 あの人は沈黙していたのではなかった 」
「 たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた 」
と・・・

遠藤周作の描いた日本的イエス像は、13ヶ国語に翻訳され、世界中に衝撃を与えました。
かのグレアム・グリーンをして、
「 遠藤は20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家である 」
と言わしめたそうです。

ミュシャがこの 『 沈黙 』 を読んでいたら、彼はどんな決断をして、どんな絵を描いたのか・・・
とても気になっています・・・




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後日談・・・
 
この壁紙を発表して5日後、GuestBookに はるぴい さんから投稿をいただきました。
 
クオ・ヴァディス  寄稿者:はるぴい [北海道] 寄稿日:2009/04/03(Fri) 15:52
いつも楽しみに拝見しています。
私もカトリックの信者で、「クオ・ヴァディス 」を読んで何度も泣きました。
あの絵のシーンは、ペトロニウスに恋していた女奴隷が彼の胸像に接吻するシーンのような気がします。
そして、それを当のペトロニウスが目撃しているのではないかと…。
どうでしょうか???

という内容ですが、ご意見、ありがとうございました! 目からウロコでした (=^−^=)ノ
確かに手前に描かれている人物は、彫像のように見えますよね!
しかも腰をくねらせている女性は、皇妃とするにはどうも軽く描かれている・・・
う〜む・・・ 確かに! 確かに!
よく思い出してみると、そんなシーンもあったなぁと・・・ 情けない・・・ (^_^;)
 
そうすると、同じくGuestBookで、MA◇さんがご指摘くださった、
「 女性の目が、あそこまでコケティッシュなのは、一体、何を表したかったのかな、、、」
という疑問にも、無理なく答えているようですよね。
奴隷として鞭で打たれようと、どうしようもなく主人のペトロニウスを愛してしまっているのだと・・・
 
ペトロニウスというのは前にもちょっと触れていますが、ネロの寵臣で、マルクスの叔父に当たる人物です。
そして、ネロに仕える立場で、その立場を守りつつも実はネロを尊敬していないというか、明らかに蔑んでいるんですね。
ところが、彼が多くのネロの取り巻きたちと違うところは、
多くのものが権力欲のためにネロに取り入ろうとおもねるばかりで、保身に汲々としているのに対し、
ペトロニウスは、自分の思ったことを直言し、かえってそれがネロに重宝されるという、一風変わった存在でもありました。
 
マルクスの後ろ盾にもなり、彼の恋を最後まで後押ししてくれたのも、ペトロニウスでした。
最初、ペトロニウスはマルクスに、自分が所有する美しいスペイン人の女奴隷・エウニケを与えようとしますが、
エウニケはペトロニウスに他所にやらないでくれと懇願し、
マルクスもその申し出を受けなかったので諦めるということがありました。
それどころかマルクスは、皇帝・ネロの人質であったリギアにひと目惚れし、
彼女を得るにはどうすればよいかとペトロニウスに相談するのです。
 
リギアは法的にはあくまでもネロの 「 もの 」 だったので、ペトロニウスは一計を案じ、
ネロに口を利き、リギアをマルクスに下賜するという形でマルクスの妾にするという方法を取ろうとするのです。
結局その策は、リギアの自尊心を大きく傷つけ、屈辱を与えたため、
前述のようにマルクスの元から突然姿を消してしまって失敗するのですが・・・
 
ちょうどその頃、ペトロニウスの女奴隷・エウニケは、ペトロニウスの命に反抗したということで、
鞭打ちされたにもかかわらず、問題の、ペトロニウスの像に接吻するというシーンになるのです。
 
マルクスがリギアのことを懸命に愛している姿を見て、エウニケに、「 お前は誰を愛するのか? 」 と訊ねたとき、
エウニケは 「 ご主人さまです 」 と、積年の思いを初めて告げるのです。
日ごろ、「 女の真の愛など見たことがない 」 と豪語していたペトロニウスは、
エウニケの意外な言葉に戸惑いを覚えますが、結局彼も、エウニケを愛していることに気づくんですね。
 
ネロがローマを焼く・・・
この計画には、ペトロニウスは反対することが判り切っていたので、ネロはペトロニウスを疎外していました。
しかし、その計画に齟齬が生じて非難がネロに向かったとき、
ネロは、妻・ポッパエアの助言を容れてキリスト教徒のせいにしてそれを乗り切ろうとするのですが、
このときばかりは、ペトロニウスはそれに正面から、断固として反対します。
 
そうしてネロの不興を買ったペトロニウスは、親しい者たちを招いて最後の晩餐を開きます。
その席で、エウニケを開放し、財産をすべて彼女に遺すと遺言して、医師に手首を切らせて自殺するのです。
エウニケは、その医師からカミソリをもぎ取って、自分の手首を切ります・・・
 
死刑を言い渡された者が死を逃れるために、醜いまでの嘆願を繰り返す姿、
そうした小心者たちの、最後のあがきを見るのが何よりも好きだというネロに、
ペトロニウスは自分はそうではないと、一矢報いたことになるのですが・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さてさて、そうなると、この絵に描かれたエウニケのペトロニウス像に対するキスシーンなのですが、
物語の中では、その主題でもなく主人公でもなく、はなはだマイナーなシーンということになり、
またまた、何故ミュシャはこのシーンを描いたのか、という疑問が大きく立ちふさがります・・・
 
これほどマイナーなシーンを描くということは、そこに何らかの意図があったことは明白ですよね・・・
ミュシャは、自分自身をペトロニウスに見立てたのか・・・
 
ペトロニウスは、ネロの信頼篤い側近との立場を積極的に利用して、
ネロを自分の思う方向へと誘導し、そうして自分の立場を固めて来たことは事実なのですが、
また暴政を防ぐためにもその立場を使うんですね。
 
ということは、ミュシャが自分をペトロニウスに見立てたとしたら、それは自分の立場・・・
パリで名声を得たという立場を、スラヴのために積極的に使おうという決意の表明だったのでしょうか。
ということは、ペトロニウスを影ながら愛し抜いたエウニケが、後に妻となるマルシュカ・ヒティロヴァなのか・・・
ペトロニウスはうかつにも長くエウニケの愛に気づかず、この自分の像へのキスという行為で、
おぼろげながらもやっと何かに気づき始めるのですから、ミュシャも、そこに意味を求めたのかも知れませんね・・・
 
それにしても・・・ しかし・・・
もしミュシャが、ペトロニウスを自分に重ねてこの絵を描いたのだとしたら、なんと恐ろしい符合なんでしょう・・・
 
この路線転換の後、1910年、50歳のミュシャは祖国に戻って、祖国のために尽力しはじめますが、
彼が資金を得てあの大作 《 スラヴ叙事詩 》 のシリーズ 当時の 《 スラヴ叙事詩 》 の展覧会 を描いた頃には、すでに 「 そんな絵は古い 」 と、
祖国の人々には受け入れられずに不遇をかこつところなどは、
愛を知ってからのペトロニウスの、ネロを思うように操縦できなくなった憤懣に相通じるものがあります。
 
また、ミュシャは第一次世界大戦後にやっと独立を果たした祖国のために、
ほとんど無償で、国章や切手、それに紙幣などのデザインを手がけますが、ミュシャがデザインした紙幣
そのような祖国愛に満ちた活動に目をつけられたのでしょう、
第二次世界大戦が始まってナチスがチェコを占領したとき、彼はゲシュタポに逮捕されてしまいます。
 
高齢の上にすでに健康を害していたミュシャはまもなく帰宅を許されますが、
このときの尋問は彼の健康に決定的な悪影響を及ぼし、時を経ずしてミュシャは亡くなります・・・
 
自殺ではなかったにしろ、ミュシャの最期は、ペトロニウスの最期にあまりにも似すぎていますね・・・
愛を知った故のペトロニウスの最期と、祖国愛に尽くすことを誓ったミュシャの最期・・・
拷問も辞さないゲシュタポの尋問に屈するくらいなら、
このまま病気で死んだ方が良いと、ミュシャは思わなかったでしょうか・・・
 
s s s s s s s
s top
s top
top
s
MoMAstores s 美術館に行けば、ミュージアム・ショップに立ち寄るのも楽しみのひとつです。
MoMA とは、ニューヨーク近代美術館のことです。そして MoMAstore は、そのニューヨーク近代美術館のミュージアム・ショップです。
そのMoMAミュージアムショップが、海外1号店として表参道に進出し、オンラインストアも同時オープンしています。
MoMAミュージアムショップの、センスの良いオリジナル商品を取り扱っています。
s
All About スタイルストアs s All About ( オール・アバウト ) は、400以上のテーマ一つ一つでその道のプロがユーザーをガイドする生活情報サイトとして有名です。
実は僕の壁紙美術館も 「 アート・美術展 」 というカテゴリで、専門家である橋本誠さんが、「 近代までのアート 」 - 「 バロック/ロココ 」 & 「 印象主義/象徴主義 」 の稿でご紹介くださっています。
そのオール・アバウトの運営する STYLE STORE は、インテリア雑貨から家電製品まで、実にセンスの良い商品を取り扱っています。
s
【スマイル通販】世界の美術品 アートギャラリー s 美術系のニュースなどを取りまとめて掲載してくれますので、なにかと便利です。
作家一覧や美術館一覧などから美術品を探すことが出来ます。
s
top
s s s s s
s このページの最初に戻る
s s